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鶴見(つるみ)は日本海軍の給油艦〔。知床型の5番艦で〔艦名は大分県・鶴見半島先端の鶴見埼による〔#日本海軍艦船名考pp.258〕。 == 艦歴 == 1918年(大正7年)度の八六艦隊案で計画され〔、大阪鉄工所で1922年(大正11年)3月14日に竣工〔〔伊達久「『特務艦』行動年表」#写真日本の軍艦第13巻p.43では3月4日竣工となっている。〕、舞鶴鎮守府籍となる〔伊達久「『特務艦』行動年表」#写真日本の軍艦第13巻p.43〕。当初の予定艦名は「関西」とされていた。後に鶴舞(つるもう)(対馬にある岬名)に変更され更に鶴見になった〔片桐, 393ページ〕。平時は海外からの重油輸送に従事した。また1924年(大正13年)から1931年(昭和6年)の間には増備されたヘビーデリックを使い航空機の運搬にも使用された。1930年(昭和5年)に佐世保でボイラーを円缶から艦本式缶に換装した〔#S5公文備考艦船2/公試(2)画像46-47、佐鎮機密第二六番電への書き込み『円缶四缶ヲ撤去 艦本式水管缶四缶ヲ装備ス 一般修理費六万三千円』〕。昭和6年の満州事変、翌年の第一次上海事変で中国に進出、1937年(昭和12年)からの日中戦争には中国各地への輸送任務に当たった。 鶴見は1941年(昭和16年)4月22日に連合艦隊付属となった。太平洋戦争開戦直後は日本近海、小笠原諸島方面で燃料補給や輸送任務に当たった。1942年(昭和17年)2月にはカムラン湾に進出し、ジャワ攻略作戦などを支援した。3月1日にバンタン湾口でオランダ潜水艦K-15 (''N 24'') の雷撃により中破するも、航行と補給活動は辛うじて可能だった〔『第七戦隊戦時日誌』pp.47,48 、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II 〕。3月12日に昭南(シンガポール)に入港し修理を実施後、5月19日に呉に帰投した。ミッドウェー海戦では、ミッドウェー攻略部隊の補給隊として佐多とともに参加する。鶴見は10月よりトラックからショートランドへ進出し、ソロモン諸島方面での給油任務に従事した。 1943年(昭和18年)以降はパレンバン、バリクパパンなど南方資源地帯とトラック、パラオなどの間での輸送任務に従事する。1944年(昭和19年)5月にはタウイタウイで第一機動艦隊(小沢治三郎中将・海軍兵学校37期)の各艦に燃料を補給した。鶴見は8月5日、輸送船団を構成してダバオを出港しザンボアンガに向かうが〔『第三十号掃海艇戦時日誌』pp.54 、駒宮, 224ページ〕、その直後、鶴見はの口でアメリカの潜水艦セロ (''USS Cero, SS-225'') に発見された。セロの発射した魚雷3本が全て命中し〔「SS-225, USS CERO, Part 1」p.231,232〕、鶴見は11時30分に横転して沈没した〔『第三十号掃海艇戦時日誌』pp.53〕。鶴見の乗員のうち137名は護衛の第30号掃海艇に救助された。10月10日に除籍〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鶴見 (給油艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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